64歳になっても

日々のブログ

日記

バイトのある日は朝が早い。今朝は7時に起きた。水筒にペットボトルのコーヒーを詰める。

 

今日はいつもと違う机を使って働いた。日本の役所やら会社やらの机レイアウトは、ある業務の責任がどこまでその人にあるかわからないという日本式組織の体質をよく反映しているのだという。欧米では従業員1人に1つずつ個室のオフィスが与えられるのが普通だそうだが、どこまでホントの話なのやら。両隣の職員さんとなんとなく責任を共有しながら働く。

 

17時には家路につく。昨日作ったスパイスカレーを食べた。スパイスからカレーを作るのが今頃楽しくなって、戸棚にはこの先1年分のクミンとコリアンダーをしまってある。冬ごもりのクマみたいな気持ちだ。ウィスキーなんかも空いた場所のある限り買い込んでしまう。

 

金曜ロードショーコクリコ坂からを観る。大学に入学して以降に観るのは初めてかもしれない。こいつらは高校生だったのか。カルチェラタンの描写も、熊野寮を見たあとだとこれまでに積み上げた歴史がどうこうとかいうより何層にも重なっているであろう埃のほうが目につく。

 

明日しないといけないことを軽くメモしてから寝る。何をしていいかわからない朝が一番最悪だ。よく朝の自分を、何も考えなくていいようにしてやる。

 

どんな人にも明日がいい1日になるといい。おやすみ。

ホテルですか?ご自宅ですか?

女性に対するルサンチマンを募らせてても仕方ないと思ったので、この間はデリヘルを呼んだ。顔が3分の1だけ写っている写真を見て指名したのだけれど、あんまり好みじゃない娘だったのでうまく気持ちが乗らなかった。それが相手に伝わったらまずいと思ってなんとか取り繕ったが、不機嫌な客だと思われなかっただろうか。

 

嬢はこの間まで昼職だったらしいけど、コロナ禍でクビになったので夜職を始めたと言っていた。どこまで真に受けていいのかわからないが、広い世界にはそういう人もいるだろうと思った。家賃(月6万)が払えなくなるとまずいから、とのことだが夜の仕事だと少々余分に稼げすぎるんじゃないのか?

 

今回は成功体験とはいえなかったので、ぜひ再挑戦したい。気持ちよくしてもらおうと思っていたのが敗因。お互いに気持ちよくならないといけないもんね。

我が家

1週間の旅行から帰ってきて、久々に自分の下宿でくつろいだ1日だった。

 

旅行は楽しかったのだけれど、事あるごとに出費する必要があって気が気じゃなかった。泊まった宿も快適ではあったけれど、ごく些細なこと、例えばシャワーの水がお湯になるまでにちょっと時間がかかるとか、コインランドリーが遠いとか、そういう些細なことがストレスになる。

 

やはり自分の慣れたところが一番だと思った。これが1ヶ月とかの長期滞在になれば、また違う感想になるのだろうけど。

 

昼間は日差しが気持ち良くて多少暖かかったが、日が沈むと一気に冷え込んだように思う。昼食は炒め物と玉子焼き、夕食はカルボナーラを作った。ウォッカトニックを飲んで床に就く。

 

何も有意義なことはしなかったが、それはなにも悪いことではないと思う。一生のうちに何か意義あることができる人間が、果たしてどれくらいいるだろうか?それにどうせ4月から忙しくなる。一生ぶん羽根を伸ばしても誰にも責められることなどないだろう。

夏の日の思い出

バイト先の女の子と出かける約束をした。一つ下の、笑顔のかわいい子。しょうもない冗談で一緒に笑ってくれる。

 

朝起きると夏にしては涼しいと思った。雨が降ってなくてよかった。髪を整えて歯を磨く。用意ができるのが早すぎたので最寄り駅までゆっくり歩いた。

 

時間になったら彼女は駅の奥の方から歩いてきた。着くのが早すぎたからあたりをうろうろしていたんだと言った。山の方へ向かう電車へ二人して乗った。

 

彼女はキャップをかぶってボーイッシュな印象だった。帽子が似合ってるねと言うと、寝癖がついてたから被ってきたんですと言って笑った。

 

いろいろなところを回った。納涼川床、神社、繁華街。いっぱい歩いて色んなものを食べた。ほっぺの肉が付きやすくてたこやきって言われるんですと真面目な顔をして彼女は言った。

 

地下鉄の駅を出ようとしたらとんでもない夕立だった。傘を買って、雨やどりしている人たちと夏の湿気をかき分けて、階段を上がって外へ出た。

 

昔好きだった異性の話をした。自分はなるべく正直に話すようにしたけど、女の子にははぐらかされた気がする。

 

足が疲れてきたので、もう帰ろうかと言った。夕方にはまだ早かったが我々は十分夏を味わった。楽しかったと言ってくれたけど本当のところはどう思ってるんだろう?

 

その子とはその後あまり会わなくなった。バイトのシフトもあんまりかぶらない。笑顔のかわいい素敵な子。夏は今年もやってくるはずだけど、この日みたいな日はまた来るだろうか

自分の好きなジャズの見つけ方

突然ですが自分はジャズが好きです。ジャズといえば眠たくなるようなスローな演奏のイメージがありますが、自分の好きなのは血湧き肉躍るリズムの鬼みたいなジャズ。電子音とか使うのはあんまり好きじゃなくて、ピアノトリオとかが好きです。それに電子音好きじゃないとは言ったけどファンクの曲調でエレピで、みたいなのだったら大好きです。ハービーハンコックとかめっちゃいいですよね。あとアドリブをパートごとに回すのも良い。全員に見せ場があるっていいですね。

 

ところが、自分の好きなタイプのジャズ、これをYoutube検索なりApple Musicの検索なりで見つけるのが難しい。20世紀の名盤みたいなのだと死ぬほど出てきやがるけど、そういうのっていわゆる「眠たいジャズ」寄りじゃないですか?かといって最近のリリースが知りたいなと思っても、今度は前衛的すぎてNot for meって感じに。変にロック調の、アニソンみたいなドラムの演奏もあんまり好きじゃなくて、リズムとしてはちゃんとスウィングしててほしい。

 

とまあ、好みははっきりしてるけど、それをいかに見つけるかに悩んでいたわけです。長らくの間。ところが最近になって解決策を見つけました。雑誌を買う、という方法です。

 

 

ジャズ批評 2020年 01 月号 [雑誌]

 

これを買ったんですがいい感じです。デジタルネイティヴ世代としては、雑誌で情報収集って新鮮ですね。書籍もまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。

 

最後におすすめの曲紹介しときます。

 

 


Aaron Goldberg - OAM's blues

Windows Vistaのサンプルミュージック。

 

 


Herbie Hancock - "Sly"

 ↑ジャズファンクの名盤。同じフレーズを何度も繰り返す系の曲が好きです。

 

 

21st Century Schizoid Man

21st Century Schizoid Man

  • 桑原あい トリオ・プロジェクト
  • ジャズ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 ↑プログレの名曲をカバー。ジャズってカバーの文化がめっちゃ根強い感じしますね。

 

こんな感じです。おすすめの曲あったら教えてください。それでは。

 

 

 

大麻合法化について考える 〜ドラッグ関連読書記録〜

世界的な流れとして、大麻の合法化が進んでいるように思う。

特に2018年にはカナダで嗜好用大麻の国全体で合法化された。「先進国が」「国全体で」「嗜好用の」大麻を合法化したことは、とても大きい出来事であるように思う。

国ごとの合法/違法の状況はWikipediaのこちらのページに詳しい。

 

その状況のなかで、「薬物、ダメ、ゼッタイ。」の原則を学校やあらゆるマスメディアに強制されてきた我々日本人は、何を考えるべきだろうか。この記事は、私自身の読書記録として読んだ本を紹介するという内容になっている。

 

本題に入る前に私のドラッグに対する立場をはっきりさせておく。私自身は日本で違法とされている薬物を使用したことはないが、それらが人間に悪影響を及ぼすのは不適切な使い方をした場合であると考えている。また、機会があれば使用したい、なぜなら、安全な方法で用いる限りにおいては、精神の変容を手軽に体験できる方法の一つであると考えているからである。

 

以下、読んだ本の紹介

 

オリジナルは1972年に書かれたものだが、ドラッグに関する基本的な論点はほとんどこの本でカバーされているように思う。ドラッグの作用におけるセットとセッティング(薬物使用にあたっての期待感と、使用者をとりまく社会的、物理的環境)の影響の大きさ、違法とされるドラッグと違法とされないドラッグ、違法とされるドラッグが一連の反社会的行動と結び付けられている現状、ドラッグについての言説に含まれる偏見(過度にネガティブである場合もあれば過度にポジティブである場合もある)などに対する筆者の主張が収められている。

 

基本的に、現在なされているドラッグ賛成派と反対派の議論は、この本で書かれていることの域を出ないと思う。いくら「ドラッグは人体に有害!ソースはこの論文!」と反対派が主張したところで、「それは研究者のドラッグに対するネガティブな価値判断があるからそのような結果になるだけだ」「研究手法に問題がある、特にセットとセッティングの効果を考慮していない」という反論から抜け出せないのでは?(私は実際にドラッグの有害性についての論文を検討したりはしていないので誰かやってください。)

 

 古今東西あらゆるドラッグの紹介、といった内容。ドラッグを違法/合法で分けること自体がナンセンスであるように思えてしまう。「ドラッグ」を全て一括りにすることはできないし、どう考えても使用しないほうがいいものや適切な使用が難しいもの(シンナーや、自然のものから特定の成分を抽出したもの)があること、摂取の方法(経口、喫煙、静脈注射)について詳しく知ることができる。

 

 依存症治療についての本だが、特筆すべきは近年の「ゼロ・トレランスからハームリダクションへ」というパラダイムシフトについての記事。ゼロ・トレランスとは不寛容、すなわち依存の対象と一切の関わりを持たない(アルコール依存症であれば一滴も口にしない)ことを重視する価値観から、ハームリダクション、すなわち依存の対象を止める必要はないがそこに害や苦しみが存在する場合にそれを取り除くことを目的とするという価値観への転換である。

 

ドラッグは「ダメ、ゼッタイ。」から、「用法用量を守って正しくお使いください」という価値観が主流になる未来があるのか?

 

従来の家族療法についての章もおもしろい。

 

言わずとしれた中島らものエッセイ。ドラッグの「ダメな使い方」の見本。睡眠薬に始まり、シャブについての章では反社会勢力との関係の話があったり。サボテンを摂取するも結局うまく効果を得られなかった、みたいな話があるのも、どんなときもうまくトリップできるわけじゃないとわかってとても良い。

咳止め薬「ブロン」の乱用についてはTwitterでも観測されるので人ごとじゃないなと感じる。

 

 

 

 

以上、読んでいただいてありがとうございました。他にも良さげな書籍があれば教えてください。

わがふるさとショッピングモール

私の地元はショッピングモールだけが娯楽という典型的な田舎で、休日はよくそこで過ごした。

 

田舎のショッピングモールと言って、その雰囲気が万人に伝わるものなのだろうか?そこは多くの家族連れとガラの悪い金髪少年たちと、平日の昼間に制服でやってくる中高生のための場所である。

 

都会に憧れる若者だったらこのようなショッピングモールに反感をいだくのかもしれないが、私はむしろショッピングモールにプラスの感情しか抱いていない。理由を説明するのは難しいが、小さい頃から慣れ親しんできたショッピングモールを否定するのは、自分の育ち方そのものを否定するような気になってしまう、というのが一番近いのかもしれない。

 

ショッピングモールのいいところというのは、日本全国どこのショッピングモールに行っても画一的な店舗とワンパターンの商品で埋め尽くされているというところにある。それが安心感なのだ。たとえ東京のショッピングモールからでも、我が地元のあのイオンモールにアクセスできるという感覚がある。

 

...などということを池袋サンシャインシティの噴水を見ながらぼんやりと考えた。